香川県内のため池の数は 登録されているだけで約1万4,600ほどあります。香川県は雨が少ないうえ川が短く急なので 農業用に使われる水は52%もため池にたよっています。そのため下流には数多くの農業用のため池が造られているのです。満濃池はまんのう町に位置する日本最大級の農業用ため池です。
満濃池は人が造ったもので、水をためているダムです。大きさは日本最大級で、手を広げたような形の池の貯水量は、オリンピックプールの6,160杯分に相当する15,400,000m3。周囲は約20㎞、水深約22m、灌漑面積3000haになります。今から1,200年前に弘法大師空海が考案し、今も使われている仕組みに、水の圧力を分散させるアーチ型の堤と水位0が一定以上とならないよう、余分な水を下流に放流する余水吐きがあります。
満濃池は、2016年に国際かんがい排水委員会による「世界かんがい施設遺産」に四国で初めて選出されている。世界かんがい施設遺産は歴史的・技術的価値のある潅漑(かんがい)施設を登録する制度である.
江戸時代以前から行われている行事で、讃岐平野の本格的な田植えシーズンの到来を告げるイベントとして、毎年6月中旬に行われる。
かりん会館で展示している「ゆる」は明治から大正3年まで使われていたものです。「ゆる」とは、池の取水栓のことで、毎年6月中旬に行われる「ゆる抜き」は、満濃池の水で田植をするために水門を開ける行事です。当時は木製の「ゆる」を使い、人力で「ゆる」を抜いていました。しかし、木製の「ゆる」は30年から50年で腐ってしまうため、取水塔に変わりました。
701~704年 | (大宝年間) | 讃岐の国守 道守朝臣がつくる。 |
---|---|---|
821年 | (弘仁12年) | 嵯峨天皇の命令で弘法大師空海が再築 |
1184年 | (元暦1年) | 洪水により堤防がこわれる。 約450年間修理されないままになり池の中に人が住み、「池内村」となる。 |
1628~1631年 | (寛永5~8年) | 西嶋八兵衛が再築。 |
1849~1853年 | (嘉永2~6年) | 当時、樋管(ゆる)は木製であったため、何度も底樋・竪樋を取り替えなければならず、長谷川喜平次が底樋を木製から石造りとした。 |
1854年 | (安政1年) | 大地震により堤防がこわれる。 |
1869~1870年 | (明治2~3年) | 松崎渋右衛門らの協力で、長谷川佐太郎や和泉虎太郎らが修理。 (貯水量5,846,000裙) |
1905~1906年 | (明治38~39年) | 第1次嵩上工事(0.87m)余水吐修理。(貯水量6,678,000裙) |
1914年 | (大正3年) | レンガ造りの円形取水塔(配水塔)にする。 |
1927~1930年 | (昭和2~5年) | 第2次嵩上工事(1.5m)財田川からの隧道工事(400m)を実施。 (貯水量7,800,000裙) |
1940~1959年 | (昭和15~34年) | 第3次嵩上工事(6.0m)及び土器川からの導水路工事(4,668m)を実施し、貯水量は現在の15,400,000裙となる。 |
2016年 | (平成28年) | 世界かんがい遺産に選出される。 |
子どもからお年寄りまで広い世代が生涯を通じて学習や研修ができるようにと建てられ、研修会などの会合や休憩所として広くご利用いただける会館です。会館のテラスからは、満濃池の広大な景色が一望できます。
神野神社は、満濃池の守護神として奉斎され延喜式内 讃岐二十四社の一つにかぞえられた古社である。祭神は、天穂日命 水波能売命等四柱がある。
空海が池東の堤防が見渡せる高台岩上に、護摩壇を作り工事期間中護摩を焚き、工事の無事完成を祈ったと伝えられ、その岩山は今も護摩壇岩として残っています
満濃池の修築の功績により天皇から褒賞金を賜り、満濃池鎮護の寺として建立された『四国別格二十霊場第17番札所 神野寺』内に、1815年に守屋吉左衛門によって作られたミニ88ヶ所があり散策コースになっている。
満濃池の堤防下に整備された公園で、池より流れ出る川のせせらぎが心を和ませます。園内は「ほたるの壁画」「ぼたん園」「ほたるの里」そして満濃池へと「遊歩道」が続き、ぼたんをはじめ、桜・しょうぶ・あじさい・つつじなど四季の花を散策できます。
満濃池の堤防すぐ横にあるかりん亭では、満濃池の美しい姿を眺めながら、本格的な讃岐手打ちうどんを食べることができます。特に健康野菜「ヤーコン」を使ったヤーコンうどんが名物です。また亭内では、特産品のかりん飴などのかりん製品も販売されております。